今年も三社祭の季節がやってまいりました。
「浅草い〜とこ」では、今年も昨年とは違った角度で三社祭を特集していきます。
トピックスをぜひご覧ください。
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2001三社祭りスケジュール詳細&神事紹介 |
詳細スケジュールを公開します!おすすめスポットもありますよ! | |
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三社祭り今昔物語 |
昔と今の三社祭の違いや昔話を紹介します。 | |
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2001動画配信 |
5/20の宮出し/町内渡御を4時間後にアップします。行けない方もサイトで体験してください。 | |
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2001三社祭り後記 |
今年の三社祭を振り返ります。 |
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昔の三社祭を語るには、まず浅草寺の歴史から…
浅草寺は628年3月18日早朝、漁師の檜前(ひのくま)浜成(はまなり)、竹成(たけなり)の兄弟が隅田川で漁労していた時、網に観音像がひっかかり持ち帰ったことに始まります。なんと大化の改新以前なんですね。
舟から陸に上がったところが今の駒形橋のたもとの駒形堂(こまがたどう)があるところです。
今の三社祭もにぎやかさでは、昔と変わりません。 交通事情や各町の情勢変化で5月17・18日という日にち固定の大祭が難しくなり、昭和18年から17・18日に近い金曜日に神輿御霊入れ、土曜日に氏子各町神輿連合渡御、3日目に本社神輿の各町渡御、例大祭式典、びんざさら舞奉納となりました。
ちょっと前までは神輿は男しか担げませんでした。また、神輿渡御を2階の窓ごしに見ているだけで「神輿を上から見てはだめだ」と町衆に叱られたものでした。「わっしょい」も「せいや」にかわりました。 |
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昭和9年生まれの岩崎さんの三社祭の思い出を語っていただきました。 当時、伝法院近くにお店がありました。 今とは違って、とても素朴でのどかな地元の祭だった。 車もそんなに通りませんし、地元の人が集まってるという感じで 規制もそんなにありませんでした。 子供神輿の山車のひもをひっぱって歩くのが楽しかった。 今でもある中清ではアイスクリームが子供たちに配られ、当時アイスクリームはとても珍しかったので、とても楽しみだったといいます。 子供は、皆、浴衣で山車引きや神輿をかつぎました。 当時、子供神輿をかつぐのは男の子だけだったそうです。 浴衣は、各町内でお揃いの柄。三社さんだけに網の模様が多いです。 観音様が網であがったことからかと思います。 しかも、毎年違う柄だそう。(右写真参照、昭和39年当時) それぞれの家で、反物を注文してお母さん、おばあちゃんが縫ってくれるんだそう。 戦後ずいぶんとその風習はあったそうです。 今では、注文する人がいなくなり、なくなったそうです。 掛け声は、今こそ「セイヤ!セイヤ!」ですが、戦後しばらくは「ワッショイ!ワッショイ!」でした。 一世風靡セピアというグループが出たころから何でしょうか? お囃子も大人で今のように子供がやることもなかったそうです。 祭といえば、出店。昔も今も子供の楽しみは同じ。 岩崎さんは、「ぬりえ屋」さんがとても楽しみだったという。 いろんな種類のぬり絵が、一面に広げられ売っていたのだそう。 女の子は、あれもってない、これもってない、と集めていたそうです。 男の子は、山吹鉄砲(竹でできた音の出る鉄砲)やベーゴマで遊んでいた。 戦後しばらくは、女の子が神輿をかつぐことはなかったそうです。 掛け声の「セイヤ!セイヤ!」と女の子が神輿をかつぐようになったのはいつからなのでしょう?ご存知の方がいたらご一報ください。 |
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