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今年も三社祭の季節がやって参りました。
44町会は大きく3つに分かれていますが、今年は…
時代屋もお世話になってる「南部16町会」特集です!
ご協力いただいた南部町会の皆様に感謝、感謝!!

今までの三社祭特集はこちら!
   

当日のスケジュール!
南部青年部連合会会長・副会長さんに聞いちゃいました!
南部16町会の町内自慢、スペシャリティー、半纏特集!
南部16町会 三社祭当日おっかけ写真レポート!
特別番外編

今年の三社祭の投稿画像を募集中!
今年の三社祭の画像を募集します!
ご自慢の画像を投稿下さい。お待ちしております。
画像容量は1MB以内でタイトル、投稿者名(ハンドル名OK)、簡単な解説を一緒にメールでお送りください。jidaiya@asakusa-e.com

投稿いただいた画像をすべて掲載できないこともございます。ご了承下さい。


南部16町会の町内自慢、スペシャリティー、半纏特集!

南部町会青年部代表の皆様に貴重なお時間をいただき
一人一人インタビューさせていただきました。

寿三東(ことぶきさんひがし)
寿三東町会 若睦会会長 鈴木一夫さん

昭和43年生まれ。
他町では青年部にあたる若睦会の会長。
今年初めて三社祭を仕切る。家業は印刷屋。
運動不足になりがちなので、祭りのための体力作りに自宅でエアロバイクを漕ぐのが日課。
ほかにギターに木遣りなど、多彩な趣味を持つ。

寿三東町会の魅力
 南の端の町会ながら目立ちたがり屋が多く、
 祭りでは「若睦会」のパワー炸裂!!

 「寿三東町会」は、南部方面十六ケ町の中で南の端に位置する町会です。うちは印刷屋ですが、いわゆる家庭内手工業の家が多いですね。日頃はまじめに仕事をしていますが、祭りともなればパワーが炸裂する目立ちたがり屋が多いです。要するに、仕事に真剣な分、祭りにも真剣なんですよ。町内を本社神輿が回る本社渡御も盛り上がります。
 うちの町会の特色は、「若睦会(わかむつみかい)」という組織が他町会でいう「青年部」として活動していることです。若睦会には、下は18歳位から入れますが、上は定年がありません。ですから、参加者には60代半ばの方もいます。つまり、うちの町会にくれば、本人が望む限り、いつまでも若者でいられるというわけです(笑)。若睦会のメンバーは60人ちょっといます。親子で在籍している人もいますよ。独立団体として、町会とは別会計で活動を行っていますが、町会の役員に若睦会出身者がいるなど、互いに人的な交流もあり、風通しがいいのも特徴です。
 若睦会は、主に三社祭のために結成された組織ですが、ほかのイベントも積極的に行っています。例えば、町会事務所の前で12月の第一週日曜に毎年行う、餅つき大会。キムチ味やカレー味、ココア味などいろいろな味にチャレンジして、毎年飽きられないように工夫しています。イカ墨味を作った時は、杵と臼から墨の色が取れなくて苦労しました(笑)。

半纏の特徴
 町会と若睦会の半纏は色違い
 細かい格子縞と、襟の白い三本線が目印

 私が物心ついた時には、すでにこの柄の半纏でした。細かな格子縞、色意はシックな藍色、背中には「壽(「寿」の旧字体)」が、牡丹の花のように描かれています。シンプルですが、それがかえって目立つような気がします。
それから身ごろと共地の襟には三本に連なる太い線と「睦」の字が白抜きで入っています。三本線は、「寿三東」の「三」を意味しています。ずっと昔から半纏を持っている人は、このラインが二本の人もいます。というのは、区画整理の以前、この辺りは寿三丁目ではなく二丁目だったんです。

 
寿三東町会 町会半纏

「若睦会」の半纏は、町会半纏と同じ柄ですが、鮮やかなブルーでパッと目立ちます。背中の大紋もどっしりとした白フチの墨文字で「寿参東」と入っていて、こちらも目立ちます。襟には町会半纏と同じく白の3本線が両方に入っています。そして、「若睦会」という紋が左右に入っています。写真は役員用で、一般団員用は、囲みがなく、ブルーの文字で「若睦会」と入ります。
この半纏ができたのは、今から12年ほど前の、寿三東町会結成20周年を記念して、とのことです。それまでは、「町会」の半纏に腕章をつけていたのですが、やはり、一目で「若睦会」とわかったほうが良かろうということで作ったようです。町会と青年部が違う半纏を作るのは今でこそ当たり前ですが、当時は先駆けだったということです。

 
寿三東町会 青年部半纏
自分にとって三社祭とは
 神輿の周りをくるくる回っていた少年時代。
 気が付けば、当たり前のように若睦会に入っていた。

 うんと小さい頃は祭りがあまり好きじゃなかったんですが、いつの頃かスイッチが入って(笑)、以来、高校生までずっと、祭りといえば神輿の周りをくるくる回っていました。町会の先輩にマインド・コントロールされていたので、高校卒業後は、若睦会に入るもんだと思っていましたね。ちなみに、若睦会への入会は、「先輩につかまっちゃった派」などもいるんですが、私のような「マインド・コントロール派」は少数派のようです。
今年は会長になってはじめての仕切りなので、事故のないよう、そしてなるべくきれいな渡御ができるように、力を尽くしたいと思っています。

寿 四(ことぶきよん)
寿四丁目町会青年部長 阿部利晃さん

昭和●年生まれ。
今年は青年部長になって3年目。
青年部長としての祭りの仕切りは今回が最後のつもり。
ケガ人を出さないでみんなが楽しめる祭りにしたいと思っている。
家業の刺繍屋で、アパレル関係の刺繍を担当。
「刺繍というと日本的なものをイメージするかもしれませんが、ブラウスのステッチなど裏原宿などのモードにも刺繍が取り入れられているんですよ」とニッコリ。
祭りが好きで、シーズンになると他の地域の祭りにも繰り出し神輿を担ぐ。

寿四丁目町会の魅力
 中心部から外れているものの
 若者、女性の担ぎ手が多く華やか!

 南部16ケ町の中でも、うちの町会は「南6町」(寿四、寿三、寿二、寿一、西浅、駒形)と言われる地域で、浅草通りをはさんで中心部からやや外れた住宅地に位置しています。
青年会のメンバーは半分が自営業、半分がサラリーマン。自営業も、自動車整備工場、酒屋、八百屋、印刷屋、水道工事屋など生活密着の家業が多く、観光客が来るような地域ではありません。こんな町会ですから祭りに対する温度差はあるのですが、いざ祭り本番となると、どこから来たのかと思うほど担ぎ手、しかも若い人や女性が多いのがうちの町会の特長です。ですから本社神輿の時も人気があるんですよ。祭り最終日の日曜日は、まるで名残を惜しむかのように、夜の8時、9時まで町内中が賑わっています。近隣町会の人も、祭りの明かりを求めて最後はうちの町会に集まってくるんですよ。

半纏の特徴
 背中の「寿」が華やかな
 青年部の半纏は今年新調!

青年会の半纏は今年、新調しました。青年会に新しい人も増えてきたので、そろそろ変えようと話し合って決めたんです。町会半纏は赤茶色なんですけれど、それと反対色で目立つ色、周辺の町会とかぶらない「粋」な色ということで、このブルーになりました。以前の青年会半纏は柄物だったのですが、今回は無地がいいだろうということで無地に。背中には黄色の「壽」(寿の旧字)が、花のように丸い文字の紋があしらわれています。ちなみに、この背に「壽」は、町会半纏と共通です。文字色の黄色は町会の手拭いの色と合わせたのですが、青い生地に映えていっそう目立ちます。両襟には白抜きで「寿四」、その上に四角い枠で囲まれた「青年会」の紋が配されています。青年会幹部もみな同じ半纏を着ますが、うちの家業が刺繍屋なので、新しい青年会半纏にはすべて個人名の刺繍を入れているんですよ。これは、うちの町会の特権です(笑)。
寿四丁目町会 青年部半纏

自分にとって三社祭とは
 お正月よりも正月らしい
 「ハレ」の日

私にとって三社祭とは、正月よりも正月らしい「ハレ」の日だと思います。元旦にわざわざ並んでお参りなんてしないですからね(笑)。青年会の会長になってから、ますますその思いが強くなっているような気がします。
このホームページを御覧の皆さんには、三社祭の時は、雷門や仲見世周辺など中心部ばかりでなく一歩通りを入ってみることをおすすめします。うちの町会のエリアまで足を広げてみると、また、新たな三社祭の魅力を発見できるかもしれませんよ。

西浅草一(にしあさくさいち)
西浅草一丁目町会青年部長 北田 茂さん

昭和39年生まれ。
長年副部長職を務めた後、青年部長になる。
今年2年目。
祭り好きで、三社祭だけに留まらず鳥越神社をはじめ近隣の祭りに遊びに行く。
某水道設備会社に勤務。
北田さんが入社した時に社長だった現相談役と当時専務だった社長が、北田さんの「三社祭にかける思い」に理解があるため、非常にありがたいとのこと。

西浅草一丁目町会の魅力
 東本願寺をはじめ寺が密集する地域
 三社祭りでは在勤者も活躍!

 西浅草一丁目は田原町の駅に近く便利なところですが、東本願寺をはじめお寺が密集していて、駅前には大きな郵便局やマンションもあるため、エリアの広さの割には氏子が少ないのが西浅一町会の特徴です。
青年部ができてから約30年になります。町会の下部組織ですが祭りでは独自に詰所を設けています。10年くらい前まではそこそこ人数がいたのですが、年々、他所に移り、今では常時活動できるのは5〜6人しかおらず、人手不足が悩みです。ここ2年ほど町会内の会社に勤務する在勤者の協力で、祭りの当日は20人ほどの実働部隊を編成できるようになり、とても助かっています。
三社祭の際には、駅前という地の利もあり、十六ケ町のうち南六町の中ではギャラリーが多いほうです。神輿を担いで賑やかな大通りを練り歩くことができるのは楽しいですね。ほかの町会とは一味違うパフォーマンスも見られるかもしれません。ぜひ、足を運んでみてください。

半纏の特徴
 茶色の網目模様の半纏が基本
 役半纏、貸出半纏、個人半纏3種類

 青年部が着る役半纏、手伝ってくれる人に貸す貸し出し半纏、個人半纏の三種類があります。デザインは濃い茶色の網目模様というのが共通で、襟の色だけ違っています。役半纏は襟の後ろに目立つように、青年部の「青」の字をデザインした紋を入れています。
今の町会半纏は20年くらい前に、役半纏は10年ほど前に作ったものです。その前は真っ青の半纏で、今よりもっと派手で目立っていました。そこから茶色になった経緯はわかりませんが、今のデザインは風格もあるし、落ち着いた感じがするので気に入っています。

 
西浅草一丁目町会 青年部半纏

 
西浅草一丁目町会 町会半纏

自分にとって三社祭とは
 三社祭は自分にとって「空気」
 あって当たり前で、なくてはならないもの

 三社祭は私にとって、「空気」のように自然な存在です。あって当たり前で、なければ絶対に困るものですね。私は副部長歴が長かったのですが、平成14年夏に青年部長になり、昨年、初めて祭りを仕切りました。前々部長は私の兄が8年務めていたので、要領はわかりますし、わからないことがあれば相談にも乗ってもらえます。実は昨年、本社渡御発進の時にケガ人が出てしまったので、今年はそういうことのないよう、地元の住人や関係者が楽しめる祭りにしたいと思っています。

寿 一(ことぶきいち)
寿一丁目町会青年部長(コトブキクラブ会長)
 浅川俊之さん

昭和40年生まれ。
町会青年部にあたるコトブキクラブ会長は2年目だが、昨年は喪中だったため、実質今年の祭りが青年部長デビュー。
浅川塗装3代目として家業に従事。
「コトブキクラブ野球部」に所属し、仲間と野球をするのが楽しみ。
「コトブキクラブ野球部では、マネージャーを募集しています」と浅川さん。
「実は、取材が来たらそう言えとチーム仲間に言われて(笑)」。
ちなみに祭りの前に髪を刈るので、三社祭の時は、この写真とは別人になっているとか。

寿一丁目町会の魅力
 隣近所が仲のいいのが自慢の町会
 祭りを仕切るのは「コトブキクラブ」

 南部十六ケ町でも南の端に位置するのが、寿一町会です。自慢といえば隣近所が仲良くて、小さい子も挨拶がキチンとできるところくらいでしょうか。この頃はマンションも多く建っていますが、昔からの住民は紙関係や象牙加工など自営業が多いです。
うちの町で三社祭の運営面で中心的な役割を担うのが、「コトブキクラブ」です。
普通、町会の下部組織で若者が中心の会を「青年部」といいますが、うちの町会では、「コトブキクラブ」がこの青年部にあたります。町会の下部組織ではなく、別の団体として、町会の委託を受けて動いています。
クラブには下はお酒が飲める年齢から参加でき、上は一切年齢制限がないのが特徴で、50歳くらいまでの人が在籍、現在30人前後で活動しています。別組織とはいえ、現町会役員はコトブキクラブ出身者で、コトブキクラブには町会役員の子弟がいたりしますので、町会との関係は良好で、三社祭に関しても信頼して任せてもらっています。

半纏の特徴
 シンプルなデザインで目立つ!
 機能性重視のコトブキクラブ半纏

 コトブキクラブの半纏は、いたってシンプルなデザインです。ブルーグレーのコトブキクラブの半纏は、昨年、作り変えたものです。前の半纏を10年使って老朽化したため、町会に費用負担をお願いして新しい半纏を「寄与」していただきました。個人所有にせず、私が管理して、祭りの際は町会から貸し出すという形をとっています。だから襟文字に個人名などは一切入れず、縁取り文字で「壽一」とのみ入っています。幹部も全員同じ半纏を着ます。
半纏はある種、作業着ですから、どうしても何年かに一度は作り直す必要があるのですが、今回、デザインは前のものを踏襲しました。ただ、素材は前回の綿素材から、洗濯を重ねても色落ちしないよう、化繊に変えました。ちなみに帯はウグイス色のオリジナルの帯をクラブで作ったのですが、かっこいいですよ!

 
寿一丁目町会 コトブキクラブ半纏

 細かい縦縞
 腰に網模様の町会半纏

 町会半纏のほうは、細かい紺の縦縞で、腰に観音様の縁起に由来した編み模様が白抜きで入っています。背中には太い縁取り文字で「寿一」。コトブキクラブの半纏と違い、こちらは新字体です。襟文字は壽クラブと同じく旧字体で「壽一」。こちらは白抜きになっています。
町会の半纏も、町会が管理して祭りの時には各家庭に貸し出しです。貸し出し制にすると、担ぎ手の数が把握できるので必要な弁当の数がわかるなど、メリットが大きいんです。

 
寿一丁目町会 町会纏
自分にとって三社祭とは
 三社祭は1年最大の楽しみ
 ガキ大将になれる夢のような3日間

 三社祭は、そうですね。1年で最大の楽しみであり、ガキ大将になれる夢のような3日間だと思います。みんながそうであるように、力を尽くしたいと思います。
寿一町会神輿はバランスがよくとても綺麗です。神輿の前方は「コトブキクラブ」のメンバーが揃いの半纏で仕切ります。ぜひ注目してください!

寿 二(ことぶきに)
寿ニ丁目町会青年部長 柿沼孝徳さん

昭和46年生まれ。
青年部長2年目。
短髪にキリッとした表情で青年部を仕切る柿沼さんだが、休日は3歳の幼児と10ヶ月の乳児と一緒に遊ぶ良きパパ。
「祭り以外は、子供たちとの時間を大切にしたいんです」とのこと。

寿二丁目町会の魅力
 昔からの職人が住む町
 まっすぐで保守的な土地柄

 寿二丁目町会は、浅草通りから南側のとてもこじんまりとしたエリアですが、和菓子職人や箔押し職人など、昔から職人が多い地域なんです。小学校の同級生で、父親がサラリーマンっていうのはほとんどいませんでしたね。私たちの世代は、後を継いで職人になったのと私のようにサラリーマンになったのと半々くらいですが、職人気質だけはしっかり受け継いでいて、保守的でまっすぐ、頑固な人間が多いかもしれません。現在、青年部の活動をしているのは20名ほどです。
祭りに対しては、三社様から距離的に離れていることもあって、「昔からの俺たちのやり方で楽しもうじゃないか」という考え方が強かったのですが、最近は「他町とも足並みを揃えて、みんなで楽しもう」という気風も生まれてきました。特に氏子の宮出しはみんなで粋にやりたいですね。

半纏の特徴
 深い緑に映える白抜きの丸に壽二の文字
 青年部団員のオリジナル・デザイン

 現在の青年部の半纏は、平成8年に作られたもので、当時の青年部の先輩がデザインしました。背中の「壽ニ」の文字も、襟文字の「寿二」の文字も、その先輩が書いたものです。また、四角い縁取りに三社の網を白抜きで描いた門も、オリジナル・デザインです。フチが丸い三社の紋を勝手に使用することはできないのですが、四角いフチでオリジナリティを出したので、「三社の紋」風ということで通りました。 ほとんど黒に見える深い緑という色も、シンプルで飽きのこないデザインも、とても気に入っています。ちなみに、デザインした先輩は、祭りの時は寿二のファッション・リーダーです。
ちなみに町会の半纏は、藍染めの吉原つなぎ柄で将棋の駒の絵柄がアクセントになっているもので、青年部もこの半纏の前は、町会と同じデザインで「青年部」と襟文字に入った半纏を着ていました。

 
寿二丁目町会 青年部半纏

自分にとって三社祭とは
 祭りがスタートでゴール
 1年の中で一番大事なところ

 私にとって三社祭とは、「すべて」です。祭りは1年の一番大事なところにあって、ここからすべてが始まりすべてが終わる、スタートでありゴールでもある。これから先も、ずっとそうだと思います。私の子供は2人ともrまだ小さいんですが、上の子が祭りを楽しみにするようになってうれしいです。
青年部長として今年は2年目で2回目の祭りなので、去年よりも少し余裕を持って祭りを楽しみたいと思っています。本社渡御も粋にキメたいです。

雷門田原(かみなりもんたわら)
雷門田原町会青年会長 里見幸宣さん

最近までデパートに勤務していたが、家業のディスカウントショップ、里見商店を継ぐことに。
学生時代は競技スキー部に所属。
会社員時代はスキューバ・ダイビングのために頻繁に海外旅行していたが、現在は遊ぶ余裕がないとのこと。
昨年10月に急遽青年会の会長となる。

雷門田原町会の魅力
 今年の本社神輿は田原町の伝統ルート。
 迫力ある渡御に注目!

 雷門1丁目の中で、国際通りから田原小学校までの狭い範囲が雷門田原町会のエリアです。表通りは商店街ですが、狭い町会なので世帯数そのものが少ないですし、青年会(「青年部」にあたる組織)も実働10人程度の少数精鋭でやっています。今の構成員は僕が一番上くらいで、その上は10年くらい空いているんですけど、下の世代はかつて青年会だった人たちの二世が結構います。そのため、ここにきて一気に青年会が若返ったような感じですね。私が青年会長になったのは、前会長が海外転勤となり任期の途中で抜けたため、急遽引き継いだという経緯があります。本当は、あと3年は前会長にやってもらうはずだったんですよ(笑)。
今年、注目してほしいのは、本社神輿の町会渡御です。今年の、寿町から町会神酒所を通過し雷門通りに抜けるルートは、うちの町会の伝統コース。人が密集する狭い道から雷門通りに抜ける迫力の渡卸となります。

半纏の特徴
 一昨年、町会・青年会の半纏を一新
 5年間かけて新旧交代

 町会半纏は、一昨年、約35年使っていた半纏のデザインを一新しました。これまでの柄物から一転、青磁鼠という無地の生地を使ったシンプルな半纏になりました。襟には三社の網をモチーフにした白い網目模様を用い、襟文字には屋号や個人名が入ります。また、オレンジ色の「田原」の紋がアクセントになっています。そして背中の大紋には、それまでの三社の紋に代わり「田原」の文字が入りました。神輿の台輪の紋にも用いられている牡丹文字が使われています。町会半纏については、5年かけてすべて新旧交代する予定です。
 
雷門田原町会 町会半纏

青年会が使う半纏の基本的なデザインは、これまで使っていた柄を踏襲しています。「吉原つなぎ」という四角形の鎖を縦に繋いだような柄は、手拭いや半纏にはよく見られる柄です。3本線の縦のラインは「三社」を意味しています。新しい半纏の背中には、赤い田原の牡丹文字の大紋が入っています。襟は赤。白抜きで青年部の「青」の紋、そして「田原町」と入っています。赤を基調とした半纏は珍しく、他の町会の中に混ざっても目立ちますね。
町会役員の半纏は緑色です。田原町はもともとは浅草寺領の田んぼがあったところで、青々とした稲のイメージがある「緑」や稲穂の「金色」は、昔から町の色として大事にされてきました。ずっと以前の町会半纏も緑色だったそうです。「緑」と「金色」は町会神輿の飾り紐の色にも使われています。普通は紫や黒のところに緑は目立ちますし、とても綺麗な色なので気に入っているんです。

 
雷門田原町会 青年部半纏
自分にとって三社祭とは
 三社祭は浅草という地域を
 深く知るきっかけ

 三社祭は歴史がある、とても奥が深い祭りです。青年会の活動も、ただ祭りを楽しめばそれでいい、というのではなく、三社をきっかけに地域を知り、もっと地域を好きになれるような活動をしていきたいと思っています。うちの町会は田原小学校がありますから、次の代を担う子供たちに浅草の歴史や文化、そして三社祭のことを、学んでもらえるような勉強会を、青年会から働きかけていけたらいいですね。

雷門西(かみなりもんにし)
雷門西部町会青年部長 浜崎正富さん

昭和43年生まれ。
今年は青年部長になって初めての仕切り。
全体を見なければいけないプレッシャーを感じつつも、やる気満々。普段はダンロップでゴルフ用品、テニス用品などの営業をしている。
根っからのスポーツ好きで、野球、ゴルフ、バトミントンなどを楽しむ。父・豊太郎さんは現在、雷門西部町会長を務めている。

雷門西部町会の魅力
 観光客相手ではなく
 地元の人向けの商売が多い地域

 うちの家業は卵屋です。ほかにも牛乳屋、塗装屋、雷おこしの製造業など、地元を対象にした自営業者が多いのがうちの町会の特徴です。けれども私自身もそうなのですが、最近は家業を継がないでサラリーマンになる人も増えています。その中で、昔から「当たり前」のこととしてあった祭りを「当たり前」のように続けていくために、青年部は1年を通して祭りを中心に据えて活動しています。
祭りに対しては、とりあえずお祭りは仲良く楽しくやろうよ、というのがうちの町会のポリシーですが、その中でも規律を守り、掛け声は「おいさ」で統一してきれいに担ごうと呼びかけています。

半纏の特徴
 「祭」に「三社」の重ね文字が目立つ町会半纏
 緑地に大胆な網模様の青年部半纏

 町会の半纏は、30年前、お神輿を新調した時に作ってからずっと同じデザインのものを使っています。背中に縫い目がない無地の紺色の一枚生地でできているため、強度も抜群です。洗濯に強いので、年季の入った半纏は紺色が徐々に色あせていくのですが、それがまた何とも言えないいい色なんです。それまではグレーの半纏だったのですが、当時の青年部が「もっと青空に映えるような明るい色に」ということで、この色になったそうです。背中には白く縁取った「祭」に白抜きで「三社」の文字を重ねてあり、遠くからでもうちの町会の半纏と分かります。

 
雷門西部町会 町会半纏

青年部の半纏は、濃い緑色の地に白のラインで大胆な網目模様が入っています。背中には白抜きで大きく「雷門」の文字。この半纏は町会役員および青年部が着るもので、役員の場合、襟文字の「雷西」の上に、「町会役員」と入っています。一般の担ぎ手と区別し、仕切りをスムーズにするために、15、6年ほど前に作ったと聞いています。私は専らこちらを着ていますが、町会半纏と同じく遠くからでも目立つので、とても気に入っています。

 
雷門西部町会 青年部半纏
自分にとって三社祭とは
 三社祭は「お正月」
 一年の終わりと始まり

 三社は、私にとって「お正月」。一年の終わりと始まりという感じで、生活の中心にあります。もともとは三社祭は氏子の祭りで、親父は境内で担いでいました。イベント色が強くなっても、「氏子の祭り」という思いは変わりません。たとえ将来、この地を離れたとしても、それは変わらないと思います。妻には「三社がこんなにスゴイと思わなかった」とあきれられますが、息子にも将来は絶対に神輿を担がせたい。まだ生まれたばかりですけど、もう「こいつにも半纏を作ろうか」なんて言っています(笑)。

雷 中(らいちゅう)
雷門中部町会青年部長 広瀬大介さん

昭和38年生まれ。
高校2年生から青年部の活動に参加。
サッカーやゴルフなどスポーツ全般を好むタフ・ガイ。
家業の氷屋さん「ムツミ氷室」は広瀬さんが三代目。
春先から三社祭の5月半ばに向かって気温がどんどん上がり、氷の需要も増加するのだが、「おかげで神輿を担ぐのに、どんなスポーツよりもいいトレーニングになります(笑)」と広瀬さん。

雷門中部町会の魅力
 下町らしい風景が残る静かな町
 有名店もちらほら

 観光客で賑やかな雷門通りとうって変わって、下町らしい風景が残る静かな町、それが雷門中部町会(雷中)です。信号もほとんどなく、車通りも少ないので、路地ではいつも子供たちが遊んでいます。うちもそうですが、ここに住んで、ここで仕事をしている人が多いので、常に大人の目が届くため安心感はありますよね。他町会からも子供がよく遊びに来ます。どこにでもありそうな風景の中に、鰻屋や肉屋などの老舗や有名店が点在しているところは、やはり浅草らしいと思います。
青年部には30名いますが、常時動けるのは10人〜15人ほどです。少ない人数でも比較的活発に活動していて、青年部で企画・運営している「スイカ割大会」なんかは子供たちに人気があるんですよ。町内のある子供が、「生のスイカを割ったことがない」というので、「それじゃあ、やらせてやろうじゃないか」と思いつきのように始めたそうですが、毎年、夏休みの最終日曜日に町内で開催して、かれこれ20回近くになります。すぐそこの路地が会場なんですが、道の両側に縁日が立って、けっこう本格的なんですよ。

半纏の特徴
 町会、青年部、婦人部とも
 菱形の柄の半纏で統一

 うちの町会は、町会半纏、青年部半纏、婦人部半纏とも同じ柄、同じ背文字で、デザインが統一されています。 黒字に小ぶりの白い菱形の柄が並んでいて、さらに菱形はよく見ると4つの菱形が組み合わさってできているという柄。背中の文字は、角を落とした黒い四角の中に白抜き文字で「雷門」(昔の看板風に、右から左の横書き)です。襟文字には屋号か個人名が白抜きで入っています。

 
雷門中部町会 町会半纏

昭和55年に町会神輿を新調した際、一斉に半纏も新調したそうですが、この時もデザインは変わりませんでした。
平成4年、町会半纏はそのままに、役員半纏を一新しました。デザインは同じですが、色違いで素材は綿紬。きれいな紺色で、町会半纏に混ざるときれいなんですよ。色目もデザインも、個人的に非常に気に入っていて、この半纏に誇りを持っています。

 
雷門中部町会 役員半纏
自分にとって三社祭とは
 三社祭は「お正月」
 一年の終わりと始まり

 私にとって、一年で、一番好きで一番楽しみな3日間が三社祭です。あちこちで祭りの準備ための会合に出るのも、また、祭りの後の「直会(なおらい)」にかこつけて皆と飲むのも含めて楽しんでいます。
うちの町会に本社神輿が回ってくるのは、朝か夜かのどちらかなのですが、今年は夜。最後から2番目に本社神輿が回ってきて、雷門東部町会さんに引き渡すんです。雷門の前で、というシチュエーションは、地理的にうちの町会を含め、数町会さんしかできないことなので、ありがたいことだと思っています。土曜日の夕方18時過ぎに、四町が雷門の前に揃う夜宮も綺麗なので、ぜひ見てほしいですね。2日間通して、いい渡御ができるようにがんばります。

雷門東(かみなりもんひがし)
雷門東部町会青年部長 宮嶋拓男さん

昭和39年生まれ。
今年は青年部長になって初めての三社祭に、副部長1年目に感じた時よりもはるかに重いプレッシャーを感じつつも日々、奔走している。
実家は雷門で自動車修理工場「宮嶋モータース」を営む。
兄が家業を継いでおり、自身の職業は某企業のシステム統括をしている。
趣味は沖釣りだが、青年部の仕事や家族サービスで最近は年に一度ほど。

雷門東部町会の魅力
 観音様の草創の地、駒形堂を拝する町
 かつて大川(隅田川)の川沿いに材木問屋が軒を連ねていた材木町、雷門の参道脇に栄えた茶屋町、そして仲見世からまっすぐ駒形堂にぬける並木通りにあった並木町の3町を跨ぐ地域が現在の雷門東部町会=雷東です。うちの町会には観音様が示現された、草創の地に建てられた駒形堂(地元の人は親しみを込めて「こまんどう」と呼んでいます)があります。
毎月18日のご縁日には町会で浅草寺のお坊さんをお迎えして法要を行い、お守りしています。
去年11月にお堂が建て替えられて、きれいになりました。ぜひ、三社祭の際には足をのばしてみてください。駒形橋のたもと、雷門二丁目駒形公園内にあります。
 お神輿は昭和28年に作られた三社型のお神輿です。
屋根の淵に波切りの飾りが無く、四方に伸びる蕨手(わらびて)が屋根の下から伸びていること、そして、台座に対して胴が細くなっているのが三社型の特長です。
良く見ると、うちの町会神輿には、三社縁起にちなむ観音様の示現の様子が胴の飾り彫りに施されているんですよ。

半纏の特徴
 藍染めの縦縞、背中に「三社」
「東」をアレンジした腰文字が光る

  藍染めの縞柄、腰には「雷門東」の一文字「東」をアレンジした腰文字が入っています。
背中は縁取りされた「三社」の文字。青年部は襟が白、襟文字に朱で「青年部」と入っています。町会半纏はまったく同じデザインで襟が藍色になっています。この半纏ができたのは、私が小学生の頃ですから30年くらい前です。それ以前の半纏はえび茶色のもので「雷壱」という文字が細かい菱柄にデザインされていましたが、住居表示変更で町名が雷門一丁目から二丁目になった事もあって、半纏も作り直したようです。
青年部半纏と町会半纏がお揃いで、統一感があっていいなぁと思っています。
物心ついた時からデザインが変わっていないので、青年部の誰もがこの半纏に愛着を持っていると思いますよ。もちろん、私も大好きです。
半纏は、「絆纏」とも書きます。すなわち絆(きずな)をまとめるものだと思うんです。年に一度、町内に三社様の御霊をお迎えし、氏子の担手が渡御を務めるために着る特別な衣装ですから、大事にしたいですね。

 
雷門東部町会 青年部半纏


雷門東部町会オリジナルストラップ
「こんなの作っちゃいました。いいでしょ!?」(宮嶋さん)

自分にとって三社祭とは
 三社祭は生きがいであり自己の存在の証明
 幼い頃から三社祭りが大好きでした。お祭りの時には、町会の役員さん婦人部さんや青年部の先輩方によく遊んでもらいました。だから、今自分が青年部に入ってからは、町会の行事などで町の子供たちや若手のメンバーにたくさん楽しい思い出をつくってほしい、と思ってます。それがお祭りを通しての自分の生きがいになっている気がします。
それから、観音様、三社様への信仰心。6、7年前、仕事でトラブルを抱えたときに毎日会社へ行く前に観音様と三社様に祈願したら、だんだん問題が解決していったんです。「神仏に加護されている」という意識が苦境をしのぐ支えになったんだと思いますが、そういう拠り所があるということに感謝して、毎年お祭りに臨んでいます。

浅草三栄(あさくささんえい)
浅草一丁目三栄町会青年部長 笹川勇二さん

昭和40年生まれ。
青年部長になって6年目。
ビーフシチューが看板メニューの老舗洋食屋「ぱいち」の店主。
三社祭の3日間は店を閉めて祭りに入れ込む。
他の町会の青年部長が「祭りのことなら勇二さんに聞かないと」というほど浅草では「熱い」存在。
三社の木札と浅草観音をモチーフにしたペンダント、それに三社の網をモチーフにした特注の結婚指輪は常に身に付けている。
三社祭の初日の朝に髪を刈るのは15歳の頃からの習慣。

浅草一丁目三栄町会の魅力
 歴史的に人が少ない町会
 縁故の人間がボランティアで支える

 浅草三栄町会は、南北は雷門通りから新仲見世通り、東西は公園通りから国際通りまでの一角で、面積的には浅草西町会と同じくらいです。世帯数は100世帯くらいじゃないでしょうか。家族経営の小さな商店が多く、店を従業員に任せたり閉めたりしてまで祭りに参加というのも難しい。23年ほど前、私が三栄町会青年部に初めて出入りした頃も青年部の実働は4人くらいで、あとはその友人・知人の方が手伝ってくれているという状況だったのですが、それは今も変わりません。
私は三栄町会で6年間、青年部長を務めています。たまたま青年部長になってから三栄町会内に住まいを買い、数少ない地元民になりました。このところは、私の前に10年間青年部長をやった人間と2人が中心となって青年部を仕切っています。歴史的に人が少ない町会なので、三栄町会に縁のある人たちが運営を支えてくれて、何とかやってきたというところです。心底祭りが好きな、ボランティア精神にあふれる人間が集まっているのが、三栄町会青年部の魅力かもしれませんね。

半纏の特徴
 20年以上前の宮半纏がベースのデザイン
 背中の大紋は町会伝統の三社の網

 青年部の半纏は、青みがかかったグレーの無地で、襟は紺、白い編み模様が入っています。背中には、三栄町会が昔から使っていた、三社の縁起を表す三つの網をモチーフにした大紋が入っています。写真の半纏は青年部長用なので赤の白抜きですが、一般の青年部員は襟と同色の紺ベースの白抜きになります。前には浅草三栄の紋と、襟に青年部という白抜き文字が入ります。屋号や名前などは入れていません。大紋以外のデザインのベースは、20年以上前の宮半纏がベースになっています。
以前は町会と同じ紺に白の縦縞の半纏に「青年部」と入っている半纏を使っていたのですが、青年部が一目瞭然でわかるほうがいいということで、10年ほど前に今の半纏を作りました。無地ですっきりしたデザインなので個人的にも気に入っています。

 
浅草一丁目三栄町会 青年部半纏

自分にとって三社祭とは
 三社祭は人生そのもの
 自分自身のすべて

 三社祭は大げさでも何でもなく、自分の人生そのものであり、自分自身のすべてです。毎年、祭りの最終日には何ともいえない寂しさが込み上げてきます。
高校生の時、何としても本社神輿の宮出しをやりたくて、50人くらい仲間を集めて突撃したんですが、あえなくはじかれて撃沈。でも、夢を諦めきれず、25、6歳の時、80人くらいの千代連に参加し、西部方面の宮出しに挑戦しました。最初の年はダメだったんですが、翌年は200人集めて念願を果たしました。そこに至るまでには正直、怖い目に遭ったりしているのでまさに命がけなんですけど、「宮出しをしたい」という純粋で強い思いが原動力でした。家業に入る前は勤めていたんですが、三社祭の時期になると休みをもらい、常に祭りを最優先するので、社長とは毎年ケンカ。それは26歳で辞める時まで続きました。
結婚して子供ができて私も来年は40歳。10年前の自分と比べたら「熱さ」は多少薄らいだ感じもしますが、祭りに対する思いでは誰にも負けたくないし、この身体が続く限り、神輿を担ぎたいと思っています。

浅草公園(あさくさこうえん)
浅草公園町会青年部長 白倉丈山さん

昭和●年生まれ。
青年部長になって3年目。
祖父が町会長、父が青年部長の経験があり、親子三代で三社祭に密接に関わる。家業である紳士服の老舗「シラクラ」の三代目。
「普段は祭りとかけ離れた商売をしているので、ギャップが大きい」とのこと。

浅草公園町会の魅力
 浅草寺、浅草神社のお膝元
 芸人と接することが多いのも特徴

 浅草寺、浅草神社がある町会内にあるということで、どちらとも付き合いが古く「宮元の町会として、他町会にみっともないマネはできない」という意気込みを持っているのがうちの青年部の特徴。現在は30名ほどで活動しています。三社祭はもちろん、サマーツアーや花見、ウィンターツアーなど町内行事が盛んですし、サンバ・カーニバルといった浅草のイベントの時は警備に借り出されます。 とにかく公園町会は広いので、三社祭当日も回らなければならない場所が多いんです。ギャラリーの数も相当なもの。演芸ホールや木馬亭などがあるため、日頃から芸人との接触があり、人の出入りも多いほうですが、祭りはやはり特別ですね。 それから、女性の人数が多いためか、10年以上前から女神輿(おんなみこし)が盛んです。女性は男性の間に入ると体格の差で、どうしても肩が入らなかったりするんですが、女神輿はそういうこともなく、見た目にも綺麗ですね。また、子供神輿にも定評があって、他町の子供たちもうちに担ぎに来たりします。お菓子などをもらえる接待が国的かもしれませんが(笑)。 何と言っても圧巻なのは日曜日の宮渡御。700人から800人の人が集まってくるため、ほとんど宮出しと同じような状況です。青年部長として一番気を張るところなので、個人的には金曜、土曜は祭りを楽しんで、日曜日に精神的なピークを持ってこれるようにしたいと思っています。
半纏の特徴
 今年の三社祭で青年部の新半纏お披露目
 大胆な網模様からどう変わるかご期待ください!

 青年部の半纏は、今年の三社祭で大きくリニューアルします。これまでのものは、紺地に大胆な白い網模様、背中の大紋は浅草の「浅」と「公園」を組み合わせたもの。襟には白抜き文字で「浅草公園」の紋と「青年部」の白抜き文字が入ります。 この網模様の半纏も、作った時はもっと鮮やかな紺だったのですが、だんだん色あせてきてしまいました。周りも同じような人が多く、そういう意味では今年は半纏の代え時だったと思います。ちなみに町会半纏はこれと逆の配色で、淡いグレーの地に紺の網目模様が入ったデザインです。半纏の襟には昔から屋号や個人名は入れないことになっているので、青年部の半纏であれば、紋のほかは「青年部」と入るだけです。それもまた、シンプルでいいと思います。

 
浅草公園町会 青年部半纏(リニューアル前)

新しい半纏は、大胆な現在の柄とはうってかわって、遠目には無地にも見える、細かい網模様になっています。背中には「公園」の牡丹文字を白抜きで入れています。自分としてはとても気に入っているので、長く着たいと思っています。あとは当日見てのお楽しみということで、このホームページにも三社祭以降に新しい半纏を掲載しますので、よろしくお願いします(笑)。
  
浅草公園町会 青年部半纏(リニューアル後)

自分にとって三社祭とは
 三社は一年でもっとも充実した
 「濃い」3日間だと思う。

 三社祭は私にとって、一年で最も充実した「濃い」3日間です。過ぎ去るのも早いし、来る前も早い。終わってしまえばあっという間なんだけれども、一つひとつ皆の記憶に残る出来事が多いということは、やっぱりそれだけ「濃い」んだと思います。特に今年は浅草六ケ町の当番町会なので、金曜の宵宮や、祭りが終わった後の「直会(なおらえ)」の準備などで大変ですが、ますます「濃く」、がんばります。

浅草東(あさくさひがし)
浅草東町会青年部長 神谷直彌さん

昭和39年生まれ。
32歳の時に青年部に入部。
今年は青年部長として初めて祭りを仕切る。
家業である創業明治13年の「神谷バー」はあまりにも有名。
特に体力作りはせずとも健康には自信があったが、最近は医者から「もう少し健康管理を」と注意されている。

浅草東町会の魅力
 浅草駅前の繁華街
 年間通じてイベントが目白押し!

 浅草駅前の繁華街がうちの町会のエリアですから、飲食店など商売をやっている家がほとんどです。青年部のメンバーにも何代目かの家業を継いでいる人間が多いですね。 浅草には年間を通じて花火大会、サンバ・カーニバル、時代祭り、など様々なイベントがあり、「浅草東」は観光客の窓口として、またイベントの中心地としてこれらのイベントに関わっています。私たちの町会青年部も、その都度、警備などに人手を出します。また、冬になれば火の用心の夜警など、地元の人たちのための活動も活発に行っています。三社祭は、そんな私たちの、1年間の活動の集大成という位置付けです。苦楽を共にした仲間同士、みんなが楽しむことができる祭りであることが大前提です。
実は、私自身はこの地域に住んだことはありません。青年部の活動に参加してまだ8年目くらいです。そんな私が、青年部部長として活動できるのも、周囲の皆さんのあたたかい協力のお陰だと思っています。社会人になると、なかなか腹を割って話せる友人というのは出来にくいものですが、私はここで、たくさんの友人に恵まれました。今年は青年部長として初めて祭りを仕切ることになりますが、周囲が祭りを分かっている人ばかりなので、さほど不安はありません。祭り当日は、どの町会よりも、一番威勢よく、楽しく神輿を担ぎたいと思っています。チームワークのよさもぜひ見てください。

半纏の特徴
 三社提灯と同じ紋
 涼しげな「紗」の半纏

 町会半纏は濃い茶色で網模様です。NHKの連続ドラマで浅草を舞台にした「こころ」の主人公、こころちゃんも着た半纏なので、巷で人気があるんですよ。背中には大きく縁取りの文字で「浅東」、襟文字に屋号。うちなら「神谷バー」と入ります。
青年部の半纏は30年以上前から基本的なデザインは変わらないのですが、時々、色や素材を変更しています。これは去年新調したものです。日本茶のような、渋くてきれいな緑色です。前回は「絽」の半纏でしたが、これはそれより軽くて薄い「紗」でできています。風通しがよくて着心地がいいので気に入っています。背中の菱形に牡丹の紋は、三社祭の提灯と同じものです。

 
浅草東町会 青年部半纏

自分にとって三社祭とは
 神様を町内にお迎えする
 大事な大事な日。

 26歳の時に店に入り、それから数年間は地域との関わりもなく、三社祭は「店がものすごく忙しい日」という程度の認識でした。それが、青年部に入って祭りに参加し、、祭りのことを知れば知るほど、町会に神様をお迎えする大事な日、という思いが強くなりました。
祭りの間は店のことは放り出しているので従業員には迷惑をかけていると思いますが、これからも氏子として、三社祭を盛り立てていきたいと思っています。

浅草中央(あさくさちゅうおう)
浅草中央町会青年部長
浅草神社南部十六ケ町青年連合会副会長
 渡辺晃将さん

昭和42年生まれ。
中央町会の青年部長は3年目。
2年前から浅草神社南部十六ケ町青年連合会の副会長を兼務する。
家業は雷門通りの天麩羅「葵丸進」。
14年前から納札の会「若千睦」に籍を置き、江戸趣味や江戸伝統文化に深い関心を持つ。

浅草中央町会の魅力
 観音様の目の前!
 観音様参詣の方や観光のお客様が最も多く訪れるエリア

 浅草中央町会は、横はオレンジ通りから仲見世通りの一本裏まで、縦は雷門通りから伝法院通りまでの長方形の地域で、さほど広いわけではないのですが、飲食店やみやげ物屋など店舗が密集し、日頃からお客様が多く訪れるエリアです。
現在、青年部は総勢45名。浅草四十四ヶ町の中でも多いほうだと思います。このうち30名以上が、浅草で何らかの商売をしています。私は青年部長になって3年目ですが、なるべく公平に仕事を配分して、全員に何らかの仕事をやってもらうことをモットーにしています。できれば将来、誰もが幹部に成り得るように仕事を覚えてもらうのが理想です。 三社祭は青年部の活動集大成ですし、町内を氏神様に隈なくまわっていただくためにも、衣装も渡御も「綺麗であること」にこだわっています。
例えばうちの町会は半纏に股敷、腹掛というスタイルを守ってもらい、帯をしていない人には神輿を担がせません。また、神輿を担ぐ掛け声も、昔ながらの「おいさ、おいさ」で統一しています。いろいろな意味で「型」にうるさい町会ですが、次代を担う後継者にもこういう心意気を育てていくために、中学生のうちから青年部にスカウトしています。

半纏の特徴
 細かい「中」の字を組み合わせた柄
 「表門」の襟文字が中央町会の心意気

 浅草中央の「中」の字を組み合わせた柄です。背中の文字は、ダイナミックな文字組みで「浅草中央」。襟文字には「表門」とあります。雷門が浅草観音の総門いわゆる表門であるということに由来しています。
この文字は、青年部の部長副部長用は白抜きになっていて「日向」といい、縁取りの文字になっている一般部員用は「影」といいます。大胆な柄なので、遠くからでも識別が可能ですし、誰が着ても粋なデザインで、自慢の半纏です。
浅草六ケ町で6年に一度まわってくる「年番」という当番制度があるのですが、浅草中央町会青年部では、それに合わせて半纏も6年に一度作り変えています。それぞれに寸法を出してもらって、一人ひとりにピッタリ合うように作るんです。これは4年ほど前に作ったものです。
また、デザインは6年同じでも、半纏は我々にとって「年に一度の晴れ着」なので、青年部員には、できるだけ毎年作り直すように言っています。私も同じ半纏をいっぱい持っていますよ。もちろんお金はかかりますが、新しい半纏を着ることが、自分の神聖な祭りに対する気持ちの証なんです。

 
浅草中央町会 青年部半纏

 町会半纏は細かい「豆中央」
 一家に限定10枚!

町会半纏は、「中央」の文字をアレンジした柄です。青年部半纏よりもずっと細かい柄で、「豆中央」と呼んでいます。うちの半纏は人気があって、過去、半纏のコピーが出回ってしまったことがあるので、偽装を防止するために作り直したものです。
背文字は大胆な赤い丸の中に「浅壹」(浅草一丁目から。「壹」は「一」の旧字)襟文字には屋号、または個人名が入っています。町会で数を把握するために、「一家につき10枚まで」と制限を設けています。また、半纏を製作しているのがうちの町会にある店なので、ニセモノの屋号は一目で見分けがつきます。


  
浅草中央町会 町会半纏

自分にとって三社祭とは
 三社祭は一年で一番
 うれしい夢見る三日間

 私にとって三社祭とは、一年で一番うれしい日々です。だから一年で一番時間が短く感じる三日間でもあります。  祭りともなると商売繁盛でうらやましいと言われますが、祭りを運営する立場から見ると、うちの町会のほとんどは3日間店を放り出すわけにはいかず、祭りに100%の時間も人手も割けないという宿命にあります。だからこそ、割ける限りの時間を祭りに割いて、いい祭りにしたいという思いが強いし、祭りに対するこだわりもあるんです。
浅草神社南部十六ケ町青年連合会副部長として一言
 四十四ケ町のうち、南部方面は他方面から祭りの恩恵を最も受けている方面と見られていますが、同じ南部方面の中でも、さらに、うちの町会をはじめ浅草寺周辺の浅草六ケ町は、他町会からそういうふうに見られていると思います。そういう意味で、商業中心の町会もあれば、住宅街の町会もあるこの南部十六ケ町は、浅草四十四ケ町の三方面をギュッと凝縮したような地域だと言えるのかもしれません。しかし、三社祭を成功させるには、そういう地域性や祭りへの思いの違いを越えて、同じ浅草神社の氏子として、みんなで協力することが一番大事だと思います。
幸いなことに、現在、各方面の青年連合会幹部には同世代が多く、スムーズな意思疎通ができていると思います。また、みんなそれぞれ家庭を持っていたり子供がいたりするので、祭りに対しても「今だけがまわればいい」というのではなく「次の世代のためにも、長い目で考えていこうよ」というスタンスは共通しています。これからも、一番大事な「三社祭の成功」のために、現場の意見の調整役として力を尽くしたいと思っています。

浅草西(あさくさにし)
浅草西町会青年部長 上原宏史さん

昭和47年生まれ。
南部十六ケ町の青年部長の中では若いほうだが、28歳から青年部長となり今年4年目のベテラン。
家業はたぬき通りの寿司屋「常寿し」。
月曜定休だが、金、土、日と燃え尽きる三社祭の時は定休日が心底ありがたいと思っている。
大学時代はスキーをやっていたが、青年部長になってからは身体を動かす機会が減っているのが悩み。
なお、ただ今お嫁さん募集中!

浅草西町会の魅力
 狭い町会だからみんな顔みしり
 本社神輿は町会全員が担ぐ!

 うちの町会は四十四ケ町の中でも最も範囲が狭い町会のひとつです。世帯数でいって100軒程度。昔からこの辺りで商売している家が多いです。人手は圧倒的に足りないのですが、祭りや町会に対する愛着はどこにも負けないつもりです。青年部は25人ほどで、三社祭だけでなく、日頃から子供会や月に2〜3回の夜警、町内イベントなど1年を通して活動をしています。そんな青年部に対して、町会の皆さんも協力的です。狭い分、親密性が高く、和気あいあいとやれているように思います。それから、うちの町会は婦人部、いわゆる「おかみさん」たちが、元気で活発なのも特長ですね。
三社祭に関していえば、本社神輿を町内に迎えるとき、町会員であれば女性も子供も本社神輿に肩を入れることができるのが、うちの町会の大きな特長だと思います。
担ぎ手にはきちんと整列してもらい、棒を後ろから前に抜けていくトコロテン方式で交代していってもらいます。場所を移動しながらですが、誰もが5分間は本社神輿を担ぐことができ、わずかな時間ですが神輿の花形である「花」(棒の先端、最前列)にも入ることができるとあって、町内の皆さんにはとても喜んでもらっています。このやり方は生来、お祭り好きの方には物足りないと思いますが、町会員全員が担げる不公平感がない今の方式になってから揉め事もなく、とてもうまくいっていると思います。

半纏の特徴
 藍染めの町会半纏と茶色の青年部半纏
 色違いでお揃いの算盤玉の柄

 町会半纏、青年部の半纏とも、算盤の玉を模した細かい柄のデザインで、町会半纏は藍染め、青年部は茶色と同じ模様の色違いになっています。背中には大きく縁取りの「三社」の文字。青年部半纏には襟文字に「浅西青年部」と白抜き文字で入っています。町会のほうは同じ場所に屋号が入っています。
このデザインは何十年も変わってないそうです。「デザインを変えようか」という話は何回か挙がったようですが、皆、この算盤玉に愛着が深いので、立ち消えになってしまうんです。どうしてこの柄になったのかはわかりませんが、昔から店舗が多いので、商売繁盛の意味合いがあるんじゃないでしょうか。今の事情に合わせてどんどん新しい半纏に変えていくのも一つのやり方ですが、古いものを守っていくのも一つの在り方だろうと思います。
うちの町会はこの算盤玉の半纏で屋号が入ったものを着ている人以外は神輿を担ぐのをお断りしていますので、渡御の時は統一感があってとてもきれいですよ。

 
浅草西町会 町会半纏

 
浅草西町会 青年部半纏
自分にとって三社祭とは
 三社祭は一年の基軸でド真ん中
 祭りが終わって話すのは、祭りのこと

 三社祭は私にとって、1年の基軸であり、ド真ん中ですね。とにかく、生活の何もかもが祭りを中心に動いているように思います。祭りが終わった翌日に話すのは、もう祭りのこと。いつだったか、祭りの翌日に「次の祭りまであと364日」というメールが仲間から回ってきました(笑)。
今年も祭りに参加する人、とりわけ町会の人たち全員に楽しんでもらえるお祭りを目指します!

2004年度三社祭南部方面の駒札順に掲載しています。
インタビューのもと文章を作成していますが、文章中にお気づきの点がございましたらメールでご一報いただければ幸いです。
master@asakusa-e.com

無断転載をお断りします!

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