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今年も浅草にサンバの季節がやってきました!
8月28日(土)浅草に集まれー!

第1弾 当日のイベントの様子を地図にまとめてみました!
プリントアウトして当日持参すればOK!!
第2弾 浅草サンバカーニバルの歴史
第3弾 当日のパレードの様子、他の会場の様子のレポートです。(い〜とこ取材班による)

〜第2弾 浅草サンバカーニバルの歴史〜
今年で第24回を迎える浅草サンバカーニバルの歴史を調べてみました!!

おまけ過去のパレード写真

浅草サンバカーニバル事始
 昭和56年(1981年)に第1回浅草サンバカーニバルが開催されましたが、その構想自体は昭和30年代からあったといいます。発端は、ある一人の喜劇役者・伴淳三郎氏の熱い思いでした。古き良き時代、大衆文化のエネルギーに満ち溢れていた浅草を知っている彼は、浅草に当時の活気を取り戻したいと強く願います。そこで目をつけたのが、「リオのカーニバル」でした。
 彼は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行われている「エスコーラ・デ・サンバ」というサンバのパレードを、浅草のメイン・ストリートでやったらどうかと思いつきました。情熱のサンバのリズム、陽気に踊る人々。庶民のエネルギーがここぞとばかりに爆発するサンバカーニバルは、浅草・下町のパワーを表現するのにふさわしいイベントになり得ると考えたのです。
 伴淳三郎氏の構想に、当時の台東区長・内山栄一氏が興味を示し、アイディアは浅草の商店連合会が主体となって、具体的な企画へと進んでいきました。
現在は、浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に加わり、浅草サンバカーニバルは地域の観光開発、活性化を担うイベントとして成長、浅草に定着しました。サンバの本場ブラジルからも高く評価され、日本とブラジルの親善の一助にもなっています。今年で24回目。観客動員数は例年並みの50万人が予想されています。
 浅草サンバカーニバルは、パレード自体がコンテストになっているのが大きな特徴となっています。各チームは規模や追求するテーマによってふさわしいリーグにエントリーし、それぞれのリーグでサンバを競います。ルールも毎年少しずつ変わってきていますが、審査基準は次の通り。
審査基準
● テーマの表現ができているか
● 演奏
● 躍動感があるか
● 衣装・装飾・小物などが工夫されているか

皆さんも、審査員になったつもりで、パレードをご覧になってはいかがでしょうか。

伴淳三郎
1908年生まれ、山形県米沢市出身。日活の「血煙高田の馬場」に端役でデビュー。以来、生涯に300本の映画に出演。「アジャパー」という流行語を生み、喜劇役者としてのイメージが定着した。1963年あゆみの箱を設立し弱者救済の募金活動を行うなど、社会活動にも積極的に取り組む。1981年死去。享年73歳。
古き良き時代、大衆文化のエネルギーに満ち溢れていた浅草
明治時代の浅草には、日本初の映画館が登場。また、日本で始めてエレベーターを採用した赤レンガのノッポビル「凌雲閣」は、関東大震災で倒れるまで浅草のシンボルでした。ほかにも演劇、オペラ、水族館、サーカスなど、他で見られない新しいものが見られる文化の発祥地だったのです。さしずめ、今の渋谷、原宿というところでしょうか。でも、当時の浅草は、それとは比較にならないほどの賑わいを見せていたのです。
パレード自体がコンテスト
日本全国から総勢4600名がサンバを競います。馬道通りの朝日信用金庫前を出発点に、雷門通りを経てすしや通り入口までがパレード行程です。表彰式は18時30分〜19時30分(予定)、ROX‐3を使用して行います。

過去のパレード写真
写真 写真
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参考写真/過去のサンバまつりのスナップです

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