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朝顔まつり
真源寺(入谷鬼子母神)にて 下谷1-12-16
鬼子母神で買う朝顔はご利益があるとか?!
宝の舞 宝の舞


下町七夕まつり
かっぱ橋本通り商店街にて
パレードあり、大道芸あり、フリーマーケットあり、ふれあいギャラリーありです。
下町七夕まつり 下町七夕まつり 下町七夕まつり


四万六千日・ほおずき市
浅草寺境内にて 浅草2-3-1
観音さまの縁日は毎月18日としてされていましたが、それとは別に「功徳日」「欲日」とも呼ばれる縁日が新たに中世以後に加えられ、それは、その日に参拝すれば100日分、1000日分にも相当するご利益が得られるというもの。中でも7月の功徳日はその日数が最も多いことから、観音さまの威神力を頼る人々が群参し、「四万六千日(しまんろくせんにち)」という縁日名で広く知られています。
さらに「四万六千日(しまんろくせんにち)」に「ほおずき」の市が立つようになり、賑わうようになった。
こうして本来7月10日であった功徳日も大晦日のように次第に9日・10日の両日が縁日となった。
また、縁日の特徴として、浅草寺では、普段とは異なる「黄色の祈祷札」および「雷除け」のお守りが授与されます。
ほおずき市 ほおずき市 ほおずき市 ほおずき市


隅田川花火大会
第一会場:桜橋上流〜言問橋上流
第二会場:駒形橋下流〜厩橋上流
1732(享保17)年、中国大陸から渡ってきた「浮塵子(うんか)」という害虫が西日本一帯に大発生し、農作物が大きな被害を受けました。これが100万人とも言われる餓死者を出した、いわゆる「天保の大飢饉」の元凶となったのです。運悪く、同じ頃に江戸ではコレラが大流行し、多数の死者を出す惨事となっていました。 8代将軍徳川吉宗は、このあまりに不運な年の災厄を打ち払い死者の霊を慰めるため、翌年1733(享保18)年旧暦の5月28日、両国で「水神祭」を挙行しました。同時に隅田川両岸の水茶屋が大々的に「川施餓鬼」を催したので、いっそうにぎやかなお祭りになりました。この時に打ち上げられた20発の大花火が、隅田川の花火の始まりと言われています。花火師は鍵屋6代目篠原弥兵衛と記録されています。 以後、大花火は「両国の川開き」のメイン・イベントとして江戸の恒例行事となりました。

ひととき、中断されていたが昭和53年から再開。
    

隅田川花火大会 隅田川花火大会 隅田川花火大会
隅田川花火大会 隅田川花火大会 隅田川花火大会

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