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| 浅草寺境内にて 浅草2-3-1 (雨天の場合は、浅草公会堂) |
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薪能のルーツは、奈良・興福寺の修二会(ルビ:しゅにえ)を母体とした御神事能であり、薪を焚いて、南大門般若の芝と春日若宮で行った薪猿楽(ルビ:たきぎさるがく)にあります。当時は旧暦の2月11・12日に行われていました。夕方から夜にかけて薪を焚いたことから薪能と呼ばれるようになったのですが、舞台の雰囲気を盛り上げる薪は御神火でありながら照明もかね、またこの寒い時期に暖をとるために使われていました。 修二会はもともと、国家の安泰を祈って行われていた神事であり、罪や穢れを現わす悪鬼を恐ろしい形相の善鬼が追い払うという追儺式(ルビ:ついなしき)では、仮面をつけて善悪ニ役の鬼を演じました。能はこのような経験を経てしだいに芸能的な色合いを濃くし、鎌倉時代末期には今日の能の原型が生まれたのです。 特に、徳川幕府が能を式楽(儀式のときに演奏する音楽のこと)として保護したこともあり、江戸時代に薪能は絢爛豪華を極めますが、その命脈も明治維新とともにつきることに。長い間、復興のきざしもなく中断されていましたが、昭和24年にようやく春日若宮の御社上り(ルビ:みやしろあがり)の能が復活。ついで昭和27年に南大門の薪能も古儀にのっとる形で復活し、現在では毎年5月11・12日に行われています。 その中で今日の薪能の先駆的存在となったのは、京都能楽会の提案によって昭和25年に始められた平安神宮の京都薪能です。今や薪能には欠くことのできない「火入れ式」も、オリンピック開会式の聖火の点火にヒントを得てこの時初めて行われたもの。この京都薪能の成功がきっかけとなり、古社寺の境内や城、野外能舞台で、杉木立に囲まれた場所で、桜の花の下で、あるいは海を臨んでと、全国のさまざまな場所で行われるようになりました。 場所や季節はさまざまであっても、演者と観客がともに自然のなかに溶け込み一体となっていく感覚は、能楽堂で見るものとはまた違った幻想的な魅力にあふれています。闇の中に炎が舞い、月の下で虫が鳴き、風がゆっくりと流れていく自然が作り出す舞台の中で繰り広げられる幽玄の世界は、まるで千年の時を超えたかのような気持ちにさせてくれます。
●「能」って? |
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| 馬道通り(朝日信用金庫前)〜雷門通り(すし屋通り入口)でパレード行進 |
リオのサンバカーニバルの浅草版。 ![]() |
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