浅草い~とこご意見番

2章

前編

「浅草文化考」(前 編)

バブル期以降、都市開発の波は全国にパターン化された再開発を生み出し、もはや地方も都会もほとんど区別のない状況になりました。現代的という名の無国籍な町並み。きれいで便利でおしゃれ。それが今の文化だとしたら、いうなれば商業主義文化または資本主義文化。資本の論理で組み立てられた買わせるための仕掛けです。ゆとりのスペースも実は集客上の仕掛け。売るために機能を特化し、計算され尽くした街。それは「そこには住まない」ことが前提の街の作り方といえるのではないでしょうか。人が住まないところに生活文化はありえないし、精神文化もありえません。

同じ都会にありながらそれと対極にあるのが浅草だと思います。
浅草といえば下町、レトロな感じのする町、歴史と伝統の町などなどのイメージが一般的ですね。あるいは雷門の提灯をストレートに連想する人も多いでしょう。いずれにしても何故か懐かしさを感じる町。景観条例があるわけでもないけれど、どこかに懐かしい日本的な雰囲気を感じることができる街です。

でもよくよく調べてみると古い建物が残っていないのも浅草。関東大震災と東京大空襲でほとんど焼け落ちたのです。わずかに焼け残ったのが浅草神社(三社様)とニ天門。国宝だった浅草寺の本堂が今も残っていればと思うとほんとに残念でなりません。民家は全滅。今の浅草にある木造の料亭や民家もほとんどが戦後築の建物です。その点が浅草が京都や奈良・鎌倉と大きく異なるところです。

もっとも京都他のこれらの町が残ったのもアメリカ軍が敵国であるにも関わらず意図的に空襲対象からはずしてくれたお陰とか。外国では民や官が努力して文化を残し伝える努力をする。ましてや敵国の文化に対しても配慮をしたということは驚愕に値します。こんなところにも文化に対するスタンスの違いを感じますね。浅草をはじめとする下町は首都(当時は帝都)であり、かつ生産資源の豊富な地域であったわけですから米軍のお目こぼしにあずかれなかったわけで、残念ながら古いものが残っていないのが現実です。古い建物や町並みは目に見える形として文化を伝えますから説得力がありますが、浅草は形としてはほとんど残っていないにもかかわらず、なぜ懐かしさを感じられる町なのでしょうか。そこに浅草の魅力を読み解く鍵があるように思われます。

さてさてそれでは[浅草い~とこ」流の浅草文化論を展開してみたいと思います。

浅草には古い建物は残っていなくても昔と変わらない生活があり、文化があり、精神があります。浅草が持つ様々な顔。宗教の町、商業の町、芸能の町、手工業の町、それらを観光資源とした観光の町。お坊さん、商人、芸人、職人が営々と働き、生活しています。そういった地元の人々の生活文化・精神文化が浅草文化を形成していると思っています。一見無秩序に見えますが同じ精神風土を基盤とした暗黙の秩序が生きているのです。

読者の皆様はどう思われるでしょうか。「後編」で「浅草い~とこ」の自論を展開する前に皆様のご意見をお聞かせいただきたいと思っています。地元の方、全国の方、外国の方、浅草文化についてどしどしメールください。


皆様の感想・ご意見・想い出話などどしどしお寄せ下さい。

無断転載をお断りします!

  • 時代屋ワンコインガイド時代屋ワンコインガイド
  • 変身遊び変身遊び
  • 今日の花嫁今日の花嫁
  • 人力車といえば浅草時代屋人力車といえば浅草時代屋
  • 時代屋メディア・芸能情報時代屋メディア・芸能情報
  • すみだいーとこすみだいーとこ