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折角浅草に行っても雷門から仲見世を通って浅草寺をお参りしておしまい・・・・じゃあ寂しいですよね。
浅草は「い〜とこ」だらけ。見所がい〜っぱい!です。
そんな中でも浅草地元、時代屋の車夫ならではのお奨めスポットを教えちゃいます。
浅草にこれから行く人はここでチェック。
行ってきた人はここで思いでに浸って。行かない人はここでバーチャル旅行気分を満喫して下さい。
さあ、浅草見物の始まりはじまり〜ぃ。
あなたのお奨めスポットや旅行の思いで・ご意見・ご感想をどしどしお寄せ下さい。
| 浅草神社(三社様) | |
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地元の人からは三社さまと親しまれ、祭礼は江戸3大祭の三社祭として有名。浅草寺本堂のすぐ東隣にある。浅草七福神巡りの恵比須。ここに祀られるのは浅草寺の草創に関わった、桧前(ひのくま)兄弟と土師中知(はじのなかとも)の3人であり、三社の名称はそのことに由来すると云う。神輿蔵の家紋には3本の投網が描かれており、当社の宮司は桧前兄弟の末裔ともいわれている。本殿は1649年に3代将軍家光公により寄進されて約360年、奇しくも幾多の大火事から護られて現在に至る国の重要文化財で権現造りの社殿に往時の面影を残す。葵の御紋も本殿に見ることが出来る。境内ではかっぽれや猿回し、春と秋の休日には芸者さんのお点前で抹茶が振る舞われるなど大勢の人で賑わう。最近では、この重要文化財の社殿で古式ゆかしく厳粛に執り行われる神前結婚式が脚光をあびている。浅草神社に向かう人力車の花嫁道中も浅草の風物詩として定着。 詳しく知りたい! |
| 浅草寺 | |
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東京最古の寺で聖観音宗総本山。山号は金龍山という。浅草七福神巡りの大黒天。縁起は約1400年をさかのぼること西暦628年3月18日、漁師の桧前(ひのくま)兄弟が江戸浦(現隅田川)で1寸8分の仏像を投網で引き揚げ、それを郷司であった土師中知(はじのなかとも)が草堂を設けて安置し、自ら僧侶に。3人で深く帰依したことに由来すると伝わる。現在の場所に観音堂が建立されたのは平安時代に入ってから、勝海上人(かっさいしょうにん)に依する。大化元年(645)開基。その頃に秘仏と定められて以来、今もって非公開。徳川家康が天下統一を前に関が原の合戦に赴く時に祈祷を行ったとされる。徳川家康公の祈願所(没後は東照大権現)と指定されてから。1649年3代家光が大伽藍を造営。以後、上野寛永寺に祈願所が移ってからは庶民の信仰の名所として親しまれた。 浅草寺を中心に町も栄え、浅草の発展を促した。地元の人達には「観音さま」と呼び、一礼をかかさない人も多い。戦災によって旧観音堂(649・国宝)が消失した後、仮本堂(現淡島堂)を経て昭和33年(1958)に信徒の皆さんの寄付により再建された。 鉄筋コンクリートによる入母屋造り、急勾配を描く大屋根の瓦は7万2千枚。日本有数の人気スポットは言うまでもない。 詳しく知りたい! |
| 雷門 | |
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浅草寺の正面。巨大なちょうちんは高さ4m、直径3.4m、重さ670kg。 正式名称は「風雷神門」という。その名のとおり、向って右に風神像、左に雷神像。人々が天候の安定と五穀豊饒を祈ったという。 安藤広重の錦絵にも多く描かれている。鎌倉時代以降約千年、創建より幾多の火災により消失しては再建された。江戸の大火事(1865)以来、失われたまま「名有って実なし」などと揶楡されたが昭和35年(1960)、約100年ぶりに再建された。 切妻造、本瓦茸きの八脚門で中央に浅草寺の山号である「金龍山」の文字、大提灯が下町浅草のシンボルとなる。大提灯は三社祭の時のみ宮入り宮出しの時だけ、本社神輿をくぐらせるために上に畳まれる。 正月は参拝者のじゃまにならないように下のほうだけ持ち上げる。提灯下の金具の「松下電器」は松下幸之助元会長が原因不明のひざの痛みに苦しんでいた折、浅草寺に祈願祈祷を受けて快癒された縁で寄進をされたという。 |
| ニ天門(重要文化財) | |
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1618年より戦火をまぬがれて今に至る。 重要文化財指定を受けている門と石橋。 もとは浅草寺境内に造られた東照宮の将軍御成門であったが、それらが江戸の火事で消失したため現在の位置に移された。 切妻造り、八脚門の両脇には上野寛永寺より移されたニ天像(持国天と増長天)が安置されて、そこから随身門からニ天門へと改められた。 江戸時代には隅田川を渡し舟で参詣に来た人々が通る東参道の門として知られたが、最新では正月の参拝客の出口として知られている。 目の前に消防署があるのは、重要文化財を守るため? |
| 六区 | |
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浅草寺の寺領だった火除け地の田圃を明治16年(1883)に埋め立て造成した興業地で、上を掘り出した跡がひょうたん池と呼ばれた(但しそれ以前から花やしき前にあった小さな池、他に隅田川沿いに1ヵ所、同名の池があった)。 池は昭和26年に埋められ、新世界と呼ばれる娯楽施設に生まれ変わったが、現在は場外馬券売り場に姿を変えて今も賑わっている。 明治17年に浅草寺を中心に浅草公園と呼ばれた一帯が6区画に分けられ、昭和26年の解除後もこの界隅は当時の地名の名残として六区と呼ばれ親しまれている。 当時、六区といえば興業街のハシリ。 大道芸や見世物小屋、芝居、演劇などのエンターテイナー達が腕を競ったエリアで、エノケンをはじめとする喜劇役者を次々と輩出。 サイレント映画の時代から浅草は活動写真館が軒を連ね、田谷力三を筆頭に浅草オペラ、SKDなどの浅草レビュー、浅香光代さんの率いる剣劇の一座が一世を風靡し、コメディやストリップと枚挙にいとまがない。 千束町に明治23年オープンした凌雲閣(通称浅草12階)は日本初のエレベーターを稼動させた(よく故障したらしい)。 関東大震災によって折れてしまった後に、これを模した仁丹の広告塔が国際通りと雷門通りの交差点に作られたが、昭和50年代に解体されて今はない。 このため両方を混同して記憶している人や記事が多く紛らわしい。 |
| 待乳山聖天(まつちやましょうてん) | |
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今戸橋の南、隅田川西岸の小丘が待乳山。 寺号は本竜院、浅草寺の末寺で「聖天さま」と呼ばれている。 浅草七福神巡りの昆沙門天。 浅草寺とほぼ同じころに創建されたという古社です。 本尊は象の顔をした歓喜天双身像で秘仏。 夫婦和合、商売繁盛、にご利益がるあるという。中でもビックリするのが本殿正面の大根の図柄。巾着とともにこの神社ののシンボルである。 千客万来の招福猿(1000円)、お供え用の大根もあります。 拝観自由。 |
| 演芸ホール | |
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前身は東洋劇場という名で親しまれた芝居小屋。 昭和39年に名称を変え、再スタートした。 数多くの芸人を世に送り出した劇場。 落語を中心に漫才やマジックなどの公演がひっきりなしに行われている。 全340席はすべて自由席。2階席まであるがステージとの距離が近く、間近で見られる。 公演は昼(11:40〜16:30)と夜(16:40〜21:00)の2部構成。入れ替えなし。1日笑っていてもOK! 一度体験したらやめられない! |
| 東洋館 | |
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浅草演芸ホールの4Fにあり、元は「浅草フランス座」。 渥美清やコント55号、ビートたけしなどのスターを輩出した。 平成12年1月より、多目的ホール「東洋館」として生まれ変わる。都内で唯一の「いろもの寄席」。 昼の部は漫才や漫談・ボーイズ大会などの演芸ものを上演。 夜の部は貸ホールとして利用できる。 |
| アサヒ本社ビル | |
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おなじみ浅草のモニュメントとして定着してきたアサヒ本社ビル。 平成元年にお目見えしました。 一般の人が社内を見学はできませんが、21階、22階には隅田川の景色をみながらのイタリア料理を味わえるレストランがある。右隣の建物は聖火をモチーフにした吾妻橋スーパードライホール。 |
| 浅草公会堂 | |
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さまざまな催しで賑わう「浅草公会堂」。 昭和52年秋に収容人員約1100名で完成。 3階からは伝法院内の庭園が一望できる。 花道がある大ホールでは花形歌舞伎などの公演もされている。 「スターの広場」には260人以上の著名人の手形があるのも有名。ハリウッドみたい? お亡くなりになった方の手形には、その日のうちに献花が飾られる。 |
| 木馬亭・木馬館 | |
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大正7年に創業した演芸場。 1階は回転木馬のある遊戯場、2階は手品や浪曲などを行う演芸場でした。 昭和45年に浪曲の定席が始まる。 日本唯一の浪曲専門演芸場。 毎月1〜10日は定席プログラム。10日以降は貸し小屋。 |
| 仲見世 | |
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雷門から宝蔵門まで約300m。参道に並ぶ門前商店街。 両脇の87店舗(100軒以上とも)では、各種の土産物をはじめプロご愛用の芝居や踊りのグッズまで。 江戸時代初期、浅草寺境内の清掃を任された近隣の住民に出店の特権が与えられたのが始まり。 名称は、雷門外広小路と仁王門(現宝蔵門)御堂前の出店との中間にある店の意味。 明治には浅草寺から東京都の管轄になり一切の特権を取り上げられたものの、明治18年に完成したレンガ造りの新店舗での営業権をそれらの人々に優先した。 大正14年、関東大震災で焼失、昭和20年の空襲では半壊したが、戦後ふたたび修復がされ、今もなお下町定番ストリート。 |
| 隅田公園 | |
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古くから庶民の憩いの場として、浮世絵や芸能のモチーフとして愛されてきた隅田川。 風光明媚な川べりを続く桜の並木で知られた名所が現在の隅田公園にその名残を留める。 「山の宿の渡し跡」の石碑などが江戸時代の面影を偲ばせる。 かつて大川と呼ばれた隅田川のほとりには現在、「スーパー堤防」という親水公園を組み合わせた新しい堤防が築かれ、夏などは屋形船を眺め夕涼みに訪れる人が絶えない。 毎年7月の花火大会は、本来、川開きに行われていた。 今では、東京1・2位のテレビ中継まで入る夏の風物詩。 |
| 浅草文化観光センター からくり時計 | |
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浅草文化観光センター正面にあり、毎日10回(10:00〜19:00)時報とともに祭りばやしの音楽が流れ、からくり人形が舞い踊る。 縦4m横5m、制作費1億円だそう。 浅草の祭りと市がテーマで、金龍の舞、白鷺の舞、子供神輿とかわいい。 |
| 東京メトロ 銀座線 | |
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日本最初の地下鉄 近代都市東京の発展の歴史、その象徴の一つが営団地下鉄銀座線。 浅草駅、田原町駅には役者の家紋が壁画にデザインされました。 |
| 弁天堂 鐘撞き堂 | |
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関東3大弁天のひとつ。鐘楼(鐘撞き堂)の鐘は1692年製といわれる。 江戸時代は「時の鐘」として、定刻に撞いて江戸の城下に時を告げていた。鐘撞き坊主といわれた専任の僧は、近隣から聴聞料を徴収して収入を得ていたそうです。 今も初詣ランキングでは上位の浅草寺。ここで信徒の打ち鳴らす除夜の鐘が初詣での合図となっている。あでやかな芸者さん達が鳴らす鐘の音が響くのも浅草らしい。 「ゆく年くる年」第1回はここでした。松尾芭蕉の「奥の細道」にも「花の雲、鐘は上野か浅草か」と登場する。 |
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| 伝法院通り | |
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浅草ならではの露天風のお店がズラリ。戦後からスタイルが変わっていない。かつてシャネルズ(鈴木雅之、田代まさし等)がここでステージ衣装を揃えていたという、安くて個性的な衣装がいっぱい。 |
| 伝法院 | |
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1777年建立。浅草寺の本坊。僧侶の修行の場となっている。約340年前にできたという小堀遠州作の庭園と心字池がある。一般には非公開だが、運がよければ無料で見学できます。 |
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| 鎮護堂 | |
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明治5年建立。日本最初の日刊紙、東京日日新聞の同年4月10日付の記事によれば「上野の山から付近に移住してきた狸が安住の地がないため昼間から人を化かしたりするので祠堂を建てて奉り鎮めた」と経緯の理由が紹介されている。門をくぐって右手にある幇間塚は、吉原に誕生し宴席をとりもついわば男の芸者さん達によって建てられたもの。幇間さんは落語にもたいこもちと呼ばれしばし登場する。伝法院の庭園も見ることができます。 |
| 二尊仏 | |
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浅草寺の境内にある「濡れ仏」の名で知られるこの二尊仏は、右が観音、左が勢至の二菩薩の金銅坐像。高さともに2.36m。願主は上野国(群馬県)館林在大久保村の高瀬善兵衛。かつて奉公した日本橋伊勢町の米問屋成井家より受けた恩に感謝し、観音像は旧主善三郎の菩提を弔うために、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るため、1687年8月に造った。1777年3月に修理されたことが追刻されている。 |
| 今戸神社 | |
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源頼朝が1063年に勅命によって篤く祈願し、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)との京都の石清水八幡を勧請したのが創建になります。浅草七福神巡りの福禄寿。 被災=再建の歴史をくりかえしながら、現在の荘厳な社殿が浄財によって造営されました。縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきました。招き猫発祥の神社で招き猫の可愛い絵馬が若い女性に人気! |
| たぬき通り | |
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明治の頃まで浅草一帯には、たくさんのたぬきが住んでいました。ある時、いたずらを反省し、人の役に立つことの大切さを悟り、その中の12匹は修行して願かけたぬきとなって人々から慕われ、お奉りされるようになった。毎月第3日曜日は、装飾街路灯の祠に鎮座しているそれぞれの願かけたぬきの御縁日となっており賑わう。食物や飲物がお客様に振る舞われる他、楽しさが一杯。ユーモラスな夫婦たぬきのグッズ(根付け、テレカなど)は「ほていや」で買うことができます。夫婦たぬきのほこらにある、おさいせんを入れたら御利益もアップ?!ほこらのチラシについている「ご利益券」で、チョット良いことありますよ! 可愛いたぬきさんとアットホームな雰囲気が魅力的です。 |
| ステージ円 | |
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演劇集団円の本拠地・浅草にある劇場兼稽古場。 岸田今日子さん・橋爪功さんなどTVでも活躍する俳優さんたちが、日々舞台や稽古に励んでいます。 98席の小さな劇場で、古典の名作から人気作家の書下ろし、こどもステージと様々なジャンルの舞台を上演。 大劇場にはない濃密な劇空間を味わえます。http://www.en21.co.jp |
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トイ&ホビー アウトレット | ||||
| ブラザーフッド | |||||
| 浅草1-1-10 | |||||
| 03-3845-5417 | 10:00〜22:00 | 無休 | MAP | 詳細 | |
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大正時代創業のおもちゃ問屋のアウトレットショップです。 現行商品もディスカウントプライスです。 高く買って(他で)しまった、マニアの皆さんスミマセン。 コレクタブルトイも何もかもディスカウントしてしまいました。 1999年11月OPENのお店です。 |
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楽器 | ||||
| ジャパンパーカッションセンター | |||||
| 西浅草1-7-1コマキビル4〜6F | |||||
| 03-3845-3041 | 11:00〜20:00 | 無休 | MAP | 詳細 | |
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浅草国際通り、愛称ビートストリートに面して立つ、打楽器専門店です! お店はドラム専門のドラムシティ(4F)、民族打楽器専門のエスニックシティ(5F)、コンサート打楽器専門のパーカッションシティ(6F)の3フロアに分かれています。 とりわけ5Fのエスニックシティには、今、世界中で大ブレイクしているアフリカの楽器、ジャンベを初め、フシギな楽器がギッシリ。 どなたでも楽しめるオモシロフロアです!HP |
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弥姫乎(みいこ) | ||||
| 浅草1-18-9(雷門柳小路) | |||||
| 5828-6238 | 12:00〜19:00 | 月 | MAP | ||
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「着物をリメイク」というわくに捕われないジャポニズムを展開しているお店。 「着るものをまとうことは、イメージをまとうことです。どんな色、どんなにおいをまといたいですか?かっこよくて着やすい、浅草テイストの服を一点一点手作りしています。ありそうでなかった、かわいくてあったかい服を見つけに来て下さい。」とオーナーから一言。 ふらりと寄ってみてみては… 弥姫乎ブランド誕生10周年を記念して店舗2Fに1年間限定(2009年1月〜)のバーサロン『鈴楼(すずろう)』をオープンするそう!店内は『吉原遊郭』をイメージした『赤』と『黒』のステキなスペース! 詳細・HP |
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